shachix’s blog

社畜がキチゲー緩和するための毒抜きブログ→ACを自覚して治そうとするブログ

25歳から始める人生

結論から言おう。俺はアダルトチルドレンだ。最近そう確信した。

(シャチックス過去編です、つまらないです)

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中学生になってから、俺は周囲の人間と馴染めずに苦労した。信じてもらえないかもしれないが、俺には思春期が来なかったのだ。今でも鮮明に覚えている。中学に上がった瞬間、みんなが色づきはじめたのだ。俺には全く理解できなかった。示し合わせたかのように、ただひとり俺を残して、みな成長し始めた。あの時の孤独感、置いてけぼり感は忘れられない。あの中学には、ひとり俺だけ学ランを着た小学生がいたのだ。

 

人を好きになるということがどういうことか分からなかった。それは以降の高校・大学・社会人になってからも同じだった。

他にも、俺が他の人と違う点はたくさんあった。以下に列挙しよう。

・自分に自信がない

・ネガティブ、自虐癖、悲観的、皮肉屋

・怒られることを極端に恐れる

・傷つきやすい

・意欲や、やりたいことがない。寝てるのが好き

・流行物に全く興味がない

・承認欲求、自尊心、羞恥心が強い

・人の顔色をうかがいすぎる

・常に他者からバカにされているという思い込みがある

 

中学生以降の12年間、俺はずっとこれらに悩んでいた。本当に苦しかった。今思えばこの12年、心から笑った覚えがない。みんなが二度と戻らない学生時代を楽しんでいるとき、純愛を育んでいるとき、友人と談笑しているとき、俺はずっとこの苦しみを紐解くため四苦八苦していた。中学高校時は哲学と仏教にその答えを求めた。ミル、ベンサムニーチェデカルトフーコーブッダ孟子中村元…しかし答えは見つからなかった。大学時代は心理学や医学方面に手を出した。そこで俺は自分の傷つきやすさは自己愛性人格障害に起因するのではないか、HSPだからではないか、回避性人格障害ではないか、アダルトチルドレンなのではないかと疑いはじめた。しかしこれといった結論が出ないまま、社会人になった。

自分で金を稼ぎ、自立すれば、なにかが変わる気がしたからだ。

 

結局社会人になって3年間、死ぬほど、いや具体的な自殺を計画するほど働いたが、なにも変わらなかった。この間、恋人などいなかった。もちろん童貞だった。興味なかったから。

ただただ月日だけが流れ、俺は25歳になっていた。しかし、ここで俺は変わる。「あれ、もう30手間じゃん…」。

 

ものすごいショックであった。そんなこと分かりきってはいたが、25歳というショックはものすごかった。俺は初めてこのままじゃまずい、自分がなにもしなければ、人生なにも起こらない…と気がつく。恋愛も結婚も眼中になかった俺は、結婚願望があることに気づく。(しかしこれの本質は「焦燥感」であった)

 

女性と話すことすらできない俺は、とりあえず恋愛マッチングアプリに登録してみた。そこでびびった。俺より年下が、はるかに人生エンジョイしていた。海外旅行、カメラ、お洒落なレストラン、ビアガーデン…。みんな、自分の好きなことを見つけ楽しんでいた。一方俺には趣味がない、恋愛経験もない、好きなことをしたことがない。なんでや。俺は悩んだ。悩みに悩んで、結局、自分がアダルトチルドレンであるという結論になった。先に列挙した俺の傾向は、それでほぼほぼ説明がつく。

 

まず俺の母はヒス気味ではあったが基本優しく、教育熱心であった。父は社畜で、ほぼ接点はなかった。幼少期から色んな習い事をさせられた。嫌だとは言えなかった。母は優しかったが無言の圧力があり、目が笑っていなかったからだ。妹も同じ理由から、母の言うことに抵抗できなかったと述べている。

今でも覚えているのだが、俺を塾へ入れようとしたとき、母はものすごく説得してきた。俺は抵抗したが、「将来は~偏差値が~みんなが~」で話は堂々巡り。はては俺をじっと睨むようになり、不機嫌になった。俺が怖くなって「塾に行きます」というと「自分から塾に行きたいと言った!」と喜んで周りに吹聴していた。

たぶん、こういったとこからアダルトチルドレン特有の「条件付きの愛」だったのだろう。ヒスのこともあって、私は母を怒らせないようビクビクしながらすごした。小学校高学年の頃、子供が親に抵抗している家庭があることを知り大いに驚く。

小学校時代は完全に道化を演じて過ごしていた。みんなそれで笑った。親も笑った。おれは手間のかからない良い子であった。反抗期もなかった。しかし先に述べたように、中学生に上がると周囲は大人になり、俺の会話では笑わなくなっていった。ここから俺は笑顔をなくす。それでもルールを遵守する良い子であった。

 

結局、自分に自信がないから他者から認めてもらいアイディンティティを確保しようとするのだ。自分に自信がないから他者から否定されるとボロボロになるのだ。自分の価値、そしてその肯定を、外側に求めている。自分の内部にある自己肯定感の泉に栓をされてしまったから、他者からの承認によって穴を埋めようとする。結果、報われない。ゼミでは教授に、会社では上司に嫌われないようにし、自分が献身的に働くことで「ここにいてもいい」という安堵を得ようとしていたのだ。俺はゼミでも会社でも、仕事を押し付けられる便利なやつだった。しかし当の本人は周囲が不真面目なだけだと思っていた。

 

で、だ。なんか知らんがそれを自覚した瞬間すごく楽になったのだ。彼女が欲しいと、初めて思うようになった。自分の好きなことをしても良いのだと、初めて知った。

普通の人にとって生きる上で前提となっている事柄に、俺はやっと気が付いた。ごめん、すごく説明しにくいのだが、俺は初めてこの世に生まれた気がしたんだ。つい最近のことだよ。

 

だからこれからはちゃんと生きようと思う。バカにされても、おしゃれしてみようと思う。女の子に話しかけてみようと思う。海外旅行に行ってみようと思う。バカにされたって、他人は他人なのだ。自分の居場所ヵなくなるわけじゃないのだ。

 

みんな、普通の人は、こんなすがすがしい気持ちで学生時代を生きてきたのかと思うと、後悔の念が凄まじい。俺は一生のうち一番楽しいであろう13~25歳の間を、ずっと自己否定とその克服に費やしてきた。街中で高校生カップルを見ると死にたくなる。やつらは、夜中に泣き出したり、頭をかきむしったりしないんだろうな。まぁでもいいや、30歳までのあと4年間で12年をできるだけ取り戻そうと思う。