shachix’s blog

社畜がキチゲー緩和するための毒抜きブログ→ACを自覚して治そうとするブログ

自殺願望

俺には自殺願望があった。

 

TVなんかでお笑い芸人が「俺、本気で自殺しようと思たことあんねん」と告白したら、観客が「えーっ!」みたいな反響してた。それは普通なことじゃないのか、とも思ったが、これは演出とかいろいろあるんだろう。ほかにも、あの時自殺しようと思ったとか、人生で3回くらいヤバいときがあったとか、いろいろみんな悩んでいるようだった。

 

でもさ、俺の場合、自殺願望あったのは「4年」なんだよな。

 

もう単位がちげぇ。「回」じゃなくて「年」なんだわ。高校時代の3年間と、新社会人時代の1年間。この間はずっと死にたい、死のうと考えてた。いろいろ死に方とか調べて、結局飛び降りが一番いいなと結論付けたが、まだ生きてる。不思議なもんだな。パラレルワールドの俺は、半分くらいはもう死んでると思う。あのときフェンスを越えていたら、あのとき友人が自殺しなかったら、あのとき両親が電話に出なかったら、あのときギャラクシーエンジェルにハマっていなかったら…たぶん俺は死んでいた。いろいろとタイミングの問題で生きてる。そう思った。

 

んでさ、俺がついこないだ雷に打たれたようにACを自覚して、自分の人生自分で決めていいと気が付いた瞬間「自殺する気持ちが分からない」という人の気持ちが分かったんだ。それまでの暗雲立ち込める12年間は「自殺する勇気があるならなんでもできるでしょー(笑)」みたいな連中を心から不可解かつ不快に思っていたが、いまならその気持ちもわかる。そりゃみんな、こんなすがすがしい気持ちで生きてたら、自殺なんて考えないわな。

あの頃の俺は、何をやっても上手くいかない、ブサイクがおしゃれしても滑稽なだけ、恥をかくくらいなら何もしない、名前のないこの苦しみを解決するには死しかない、人としてかなり劣っている、周囲の人間と比べて明らかに何かが足りない、人生のハードルを飛び越えられず次々倒してたらいつの間にか人生周回遅れになってた、優等生にはなれないがだからといって犯罪者にもなれない…そう思っていた。もはややることなすこと一挙手一投足にネガティブの胞子がまとわりついて、あがけばあがくほど泥沼に沈んでゆく感じだった。だからこそ、何もしないという選択肢が一番ダメージが少なく、睡眠大好き人間になってしまった。あの閉塞感は凄まじかった。

(むしろ、今となってはこの暗黒期12年間の気持ちがわからなくなってきている。これはもしかして夢じゃなかったかしらとさえ思う)

 

で、だ。俺は人生の大部分を無駄にしてきたわけだが、その対価として

・自殺したい気持ち

・自殺とか理解不能、という気持ち

この両方を得ることができた。これ、何かに役立てないかな。じゃないと、あまりにも俺の人生かなしい。俺は友情も恋も青春も知らないし結果学歴も職歴もダメにした。その代わりに手に入れたこの稀有な感覚を、どうにかして活かせたらなと思う。

 

こういうネガティブ思考になったとき、いつも第二次世界大戦で人生をダメにした先人に思いを馳せる。彼らは俺なんかより絶対的に不幸だったろう。自分の外部要因により人生めちゃくちゃにされたという点では一致するが、現状に疑問を抱いたり、ネットに解決を求めたりすることができなかったはずだ。精神疾患も性格としてみなされ、甘えだと凶弾されたはずだ。彼らを思うと胸が痛い。俺は、高校時代に性欲に任せたセクロスをし金儲けに余念のないあの友人ではなく、国のために散っていった方々と自己を比較するべきなのかもしれない。