約3年半ぶりの更新となる。以前彼女ができたとここに書いたが、とんとん拍子で結婚した。半年で婚約して同棲して、その半年後に入籍して、その1年後に挙式だったかな??よく覚えていない。
正直、キツい。結婚は人生の墓場とはよく言ったものだ。結婚してから起こったことを時系列で挙げていこう。
【同棲フェーズ】
1.遠くに住むことになった
同棲する際にアパートを探すわけだが、義両親は初めて娘を外に出すので遠くには行って欲しくなかった模様。妻も妻で、子育てを手伝ってほしいだとかで実家の近くに住みたかったみたいで。俺は一人暮らしのアパートを出て義両親家近くに住むことになった(とはいえ一駅分くらい距離はある)。おかげで片道20分だった通勤が1時間になってしまった。この1時間も、15分歩いて5分電車待って10分電車乗って5分で乗り換えて…といった具合でちょこちょこ動くため、通勤時間を有効活用しにくい。以前と比べ、往復で1日に1.5時間くらいロスすることになってしまった。さらに言えば体力もだ。
2.やたら金がかかる
家賃をもう少し抑えたかったのだが「私も働いて家にお金入れるから!」と妻に押し通されて少し良い所に住むことに。また家具家電もそろえたのだが「いや、そんないい奴じゃなくてよくない?」と思うものばかり。みな少しずつグレードの良いものになってしまった。自分は貧乏性で妻は散財家。話し合ってお互いの要望の中間あたりになったとは思うが、流石に55インチTVはデカすぎやしないか?
またキッチン用品もティファールやらお客様用のコップやらジップロックの保存容器やら大量に欲しがる。俺が最大限止めに入って一応中間地点あたりで落ち着くのだが、3年経った今も全く使っていないものが多くある。
アパートの敷金礼金、家具家電、小物雑貨など合わせて100万近く使ったのではないだろうか。お、俺の貯金が…。
3.片付け・家事ができない
同棲してまず困ったのは、片付けしないこと。最初はお互いの段ボールが大量にあって、少しずつ紐解いていたのだが、俺の荷物が減るばかりで妻の荷物はずっと残っていた。あとでやる、あとでやる、と言いつつ半年くらいはかなり段ボールが残っていた。なお、3年ほど経った今も手つかずの荷物が少々ある。
また家事全般ができなかった。実家では洗濯くらいしかやったことがないらしく、それ以外はほぼダメだった。料理は俺、風呂掃除は俺、皿洗いは俺、掃除は俺、洗濯は嫁、という感じ。本当に辛かった。またなにより困るのが「料理できないのに食材をやたら買ってくる」ことだった。俺がなんとか調理して消費するも、買う量が多すぎて間に合わなかった。上記の通り一通りの家事は俺がやっており、通勤時間も伸びたため時間的にも体力的にも間に合わず、食材の多くを腐らせることになる。「頼むからそんなに買わないでくれ…」と何度も懇願する様となった。食材が腐る、カビる、液状化する…そんなものをよく見るようになった。ごくまれに料理することもあったが、あまりにマズさに咀嚼せず飲み込んだ。また作る量もおかしく、鍋いっぱいのシチューを作った直後に鍋いっぱいのカレーを作ったときは夢でも見ているのかと思った。
掃除や皿洗いのような定期業務はもちろん、牛乳パックを洗って広げて乾かす、切れた電球を取り換える、不燃ごみをまとめる、季節家電を出したりしまうなど、不定期的な家事もほぼ俺が担当となった。妻は一応やろうとする気はあるようで、それは間違いないと思う。ただ「やらなきゃ」「やりたい」とは思うものの「よし、やるか!」という気にはならないらしく、それが傍から見ると「やらない」「やる気がない」にしか見えないのだ。一度嫌になってシンクにある皿を放置してみたのだが、2日経ってもそのままなので結局俺がやることになった。
「ああ、私がやろうと思ってたのに!」「思ってるだけでやらないじゃん…」
4.衛生観念がおかしい
上記の家事の話ともつながるのだが妻は「汚い」と思うことが少ない。カビた食材も腐った食材も、匂いを嗅いで無理なら捨てるが、そうでなければ使ってしまう。一度会社の昼ごはんに持たされたパンにカビが生えていた時は、気づかず一口食べてしまって吐き出し嗚咽した。帰って指摘したら「それくらいなら大丈夫」と。
風呂場も赤カビが出てしまったり風呂桶がヌメったりするので俺が一生懸命掃除するが、本人は何も気にしていなかった。脱ぎっぱなしの服でソファがいっぱいになろうと、床に置いた文房具で歩く場所がなくなろうと「汚い」とは思わないらしく、非常に辛かった。
【結婚生活フェーズ】
1.妻がうつ病になった
俺と付き合う前から問題だったのだが、会社のノルマがキツくて、かつ同僚がみな優秀すぎて病んだらしい。なんなら病んでヤバかった時期に俺と出会って中途半端に救われてしまったのでここまで長引いてしまったようだ。最終的に俺がメンタルクリニックに強引に連れてゆき、うつ病判定が出たのだが、妙に自分に厳しく「これは甘えだ」と自責しているのが問題だった。結局休職して半年ほど自宅療養。幸い会社が超大手なので休職中もそこそこ給与が出ており助かった。月に2回ほど病院に連れていった。ベッドの上で動けない…みたいなレベルではなく、自分の趣味は楽しめるようだった。(これって新型うつじゃないの??)
2.結婚式
妻が休職したので、(波はあるのだが)日中は家事を若干やるようになり、だんだん料理も慣れていった。そこで若干生活に余裕ができ、結婚式の話になる。俺は金銭面を考えて正直やや反対側だったのだが、妻と義両親(というより親戚含めこの一族)はやらなきゃいけないみたいな感じなのでやることになった。幸い、超豪奢にしたいような感じではなかったので、300万ちょっとの式に。
しかし準備が大変だった。俺は【出勤⇒帰りに式場に寄って各種準備⇒家に帰って式の準備と家事】を繰り返していたのだが、この頃は妻がやる気を失っていたのか何もせず、日がな一日Youtubeを見てゲームするだけになっていた。「お前が式やりたいって言ったんだから、せめて俺と同等くらいには動いてくれ…」と何度も懇願。式にやや反対していた俺の方が100倍動いているのは何故なのか、考えてはいけないと思いつつ疑念は晴れなかった。そして妻は性格的にもスケジューリングや工程管理ができないので俺が各種やることは分かっていたが、あまりに何もしなかった。○○日までにこのタスク(妻しかできないもの)を終わらせなければいけない、と俺が何度伝えてもやらなかった。妻の性格は分かっているのでかなり予備日を設けていたのだが、それでも「明日やる」「(見ている動画の)キリがよくなったらやる」と言いつつ結局期限切れ間際に。俺ももう心身が限界だったので「もうどうすればいいんだよ!!!!結婚式やめるか!!!!???」「俺もうこれ以上頑張れねえよ!!!!!!!」とブチ切れてしまった。これが同棲後初めてのガチギレだった。昔から温厚で怒らない性格と言われていたので、自分でも自分にビックリした。
結局俺が半分死にかける形で準備は完了。式も大きな問題はなく終わった。
このころ歯医者にも通っていて、歯科医の女医さんに「歯磨き忘れたらダメよー」と言われていたのだが、内心(すみません歯磨きする体力がないどころか、そもそも食事すら出来ていません…)と思っていたことを今でもよく覚えている。風呂にも入れず晩ごはんも作れず食べれず、そのままベッドで死んだように眠る日が多々あった。この日々が今までで一番つらい生活だった。あまりにもゲッソリしているので、会社でも多くの方に心配された。
3.義両親との仲が悪くなった
義両親から妻へ「式はやらなきゃいけない」「妻側はこうすべき」「甘えるな働け」「旦那さんに迷惑かけるな」など圧迫が強くなった。式の関係で義両親とのやりとりが増えた結果なのだが、うつ病のことを言ったのは間違いだった。一応俺の負担が増えないように妻を詰めているのだが、それで妻のうつが酷くなり、周り回って俺の負担がとてつもなく増えてしまった。(上記の結婚式云々の話で妻が動けなかったのはこれも影響している)
「あんたら俺のことを思うならしばらく妻と話さないでくれ、それ逆効果やねん」と何度も言いたくなった。結果、義両親とは若干距離が離れた。この人らに子育てを助けてもらうために近くに住んだのに、これではただ通勤時間と物量的負担を増やしただけだった。もはやプラマイマイナスではないだろうか。
【現在】
1.妻の復職と2度目の休職
妻は結局会社を辞めることになった。ただ金銭的な事情から、本人はすぐ復職を希望した。というのも、妻はかなり趣味にお金を使うので、その分を捻出したかったためだ。リハビリも兼ねてパートから初めて、よさげなら正社員登用を狙う方がいいのでは?とアドバイスしたが、今後の子育ての支援も考えると正社員がよいとのことだった。半年ほど勤めたらそこで子供を作ろうと。
結果、これがとてつもない大誤算だった。
勤め先はノルマはないものの、人間関係がかなり悪く、妻はまた病んだ。ストレスから家事はできず、またもしばらくは俺が家事担当になった。愚痴マシンガンが飛んでくるので、俺も病みそうになった。なんとか半年は頑張ったが、結論、うつ再発ということでまたも休職に。今回は大企業ではないので、休職中の待遇もよくなかった。
2.貧困に喘ぐ
嵩んでしまった同棲の初期費用、結婚式の支払い、妻の散財、妻の2度の休職、妻のうつ病治療費などで、正直言ってかなり家計は厳しいことになっていた。つけていた家計簿を見て、支出と収入を再計算し、無駄をなくし、よしこれならなんとか大丈夫、という所まで進められた。
ダメだった。
妻は趣味に割くお金を止められなかった。野菜や魚介類たっぷりの、健康的で金のかかる晩ごはんを辞められなかった。結果、ついに完全な赤字になった。俺は相当ひっ迫し、追いつめられた。自分は趣味にお金を使わない代わりに昼食にお金を使っていたので、これをまず切った。毎日1000円くらい使っていたが、食パン3枚で済ますようにした。しかし間に合わない。元から格安SIMだったし、サブスクも契約してない。医薬品だってジェネリックだし、服も靴も買わない。もちろん酒タバコギャンブル女遊びなんて全く縁がない。支払っているものといえば、生命保険、散髪代、AdobeとNortonの契約料くらいだ。つまるところ、これ以上切れるところがなくなってしまった。
妻にはよく話をしたが、妻も妻でこれ以上我慢はできないようだった。月3万の趣味代を1万に抑えてくれるだけでもだいぶ助かるのだが、ダメだった。あまり言いすぎるとうつが酷くなるから、言えない。
俺は会社に相談した。妻が病気なので残業を増やして欲しい、副業を解禁して欲しいと。結果残業は月0時間だったが40時間くらいまで増やしてくれた。また副業は会社の規定的にダメだが、上司は「見なかったことにしてやるからやっちゃえ」と言ってくれた。本当にありがたい話である。かくして俺は日に2時間の残業+2時間の副業というハードワークを務めることになる。
3.お金時間体力精神力の限界
通常労働8時間+残業2.5時間+通退勤2時間+昼休み1時間+副業2時間+睡眠6時間+家事ほか庶務2.5時間=24時間。これがルーチンワークとなり、パーソナルな時間は雲散霧消した。これだけで既にだいぶ辟易なのだが、現実はさらに非情だった。副業はクラウドワークスでデザインコンペティションをしていたのだが、まぁ当たらない。2か月ほどフルで応募して、やっと1件採用という有様だった。2か月間ガチで頑張って5000円とかそのくらいである。クラウドソーシングはコロナ前に比べてかなりレッドオーシャンになっているようだった。ほか、ココナラでの出品やストックフォトなど色々やってみたが、ダメ。結局残業代だけでなんとか大赤字を小赤字に抑えるのが精一杯だった。
さらに苦しいのは、妻が遊んでいることだった。俺が9時とかに帰宅して、風呂洗ってない料理してない動画見てただけ、とか言われるとブッ倒れそうだった。そして帰宅後、俺が疲れた脳をフル回転させて副業してる際に、隣の部屋からYoutuberのバカ騒ぎと嫁の笑い声が聞こえてくるのだ。俺は気が狂いそうだった。
このままでは本当に自己破産する…。そんな思いのなか必死にお金を稼ごうとしているのに、「ギャハハハwwww」「マジか!ヤバいヤバい!wwww」「ちょマジかよ!wwwwww」とか聞こえてきて集中できないのは本当に辛かった。
ゲッソリした俺を見て妻は「ちょっと休んだ方がいいんじゃない?」「整体でも行ってみたら?」「美味しいもの食べに行こうか」など気遣ってくれるのだが、冗談ではない。そんな金も時間もないのだ。妻は危機感がまるでない。確実に思考のレイヤーがズレている。イイ感じに生活するにはどうすればよいか、なんていう実に遅れた考え方になっている。そんな時点はとっくに超えて、我々は「どうやったら死なずにいられるか」というところまで来ているのだ。
会社の同僚や先輩、地元の友人、厚生労働省の相談窓口、妻が通うメンタルクリニックなどにも相談したが、これといった解決策はなかった。私は五体満足で肉体的には健康なので、生活保護も選択肢に使えない。転職するだけの時間も体力もお金もない。本当に万策尽きた。
そんな中、妻の就職先よりパートでの枠が空いているという話があった。私が転職するまでの間でもいいから頑張って欲しいという形で、なんとか復職。今日が初出勤日だったが、先ほど妻から「みんないい人そう」と報告の電話があった。本当にこの3年間死にそうだったが、なんとか希望の光は消えずにいる。
見返してみると本当にただ苦しんでいるだけのおじさんである。が、今後のために何か得られてものを考えてみようと思う。
①金は大事
今まで金を全然使わない低燃費人間だったので定収入でも楽しく生活できていたが、妻はそうではない。また「金を得るための金がない」状況はかなり精神的に参るので、預貯金は重要
②限界になってからでは遅い
副業をやり始めて感じたが、収入になるまでの立ち上がりに時間がかかる。これは体力をつけるための筋トレでもなんでもそう。普段から種をまいて水をやり続けることが重要。限界がきたら刈り取ろう
③失敗や挫折は若いうちが良い
現在31歳。ここで大きな失敗を繰り返したからまだなんとかなったと思うが、さらに若い時期にこれだったらなお良かったと思う。正直私はアダルトチルドレン改善のためにかなり人生が遅れており、今やっと「生活」や「収入」というものに焦点が向いたようだと感じる。今まで守銭奴みたいな奴を毛嫌いしてきたが、気持ちが分かった。
さて、下方修正に下方修正を重ね、生死ギリギリラインまで落ちてしまった私の人生だが、まだ私は諦めてはいない。泥水すすってでも生きてやるという気概だけは常にあるので、ここから挽回していこうと思う。
いやしかし、本当によくやったと自分でも思う…(上の文章を見返しながら)