高校時代の旧友と会った。
そしたら、なんか性格が変わっていた。カフェに入るやいなや、ここの立地と回転率からして純利益がどうのこうの…。意識高い系…なんだろうか? とにかくちょっと不気味になっていた。
他の友人も人脈ガー自己投資ガーってうい感じになっちゃったやつもいる。話を聞く感じ、やはりこの弱肉強食の資本主義経済社外を生き抜くために身についた価値観なのだろう。
かたや俺なんかはいつまでたっても理想主義的で、水と小麦粉からパンを作るのが仕事だと思っている節がある。いまやそんなものライン工にし、でなければ手作りだのオーガニックだのという差別化戦略によりコモディティ化を避けクライアントの需要にコミットするコンセンサスがスリジャヤワルダナプラコッテ。
しかしみんな、環境への適応能力が高いよな。多分自分の主義とか理想とかないぜ? あれ。
正直こうはなりたくないと思いつつ、こうならなければ生きていけないんだなと思って悲しい。今回会った友人は金欲しい女欲しい服欲しい車欲しいという強欲人間だが、貨幣の価値が無限成長する時代、こういう奴が上に行くんだ。
金だけじゃねえ、女もだ。
高校の頃、木訥として芋っぽいけどよく見るとすごく可愛い女の子いたよね、って話になったんだが、当時ガバガバでだいぶ開発済みだったとのこと。俺は血の涙を流した。
高校の頃なんてそういう経験するのはごく一部のやんちゃな連中だと思ってた。大学の頃そういう経験は愛し合う仲ができたらだと思ってたいた。でもいつの間にか俺の方が一部になっていた。俺の家庭は結構、いやかなり厳格なほうで、性がエンターテイメント化した現代に適応できなかったらしい。
あああ、「周りの人がAと言ってるからAだ!」と言える思考停止マンになりたかった。でなければ突き通す自分の主義主張があれば良かった。俺は宙ぶらりんだ。親が悪い世間が悪い時代が悪い。俺以外全員死ねばいい