shachix’s blog

社畜がキチゲー緩和するための毒抜きブログ→ACを自覚して治そうとするブログ

傷付ける者、傷付けられる者

前の職場では叱責されていた。私がというより、権力のない者全員がだった。業種のせいか荒っぽい人が多く、死ねとか使えないとか、ひどい暴言が飛び交っていた。私は常々、なぜそのような事を言うのか不思議に思っていた。人を不用意に傷つけるのは反道徳的だと考えているからだ。私はそのようにはなりたくないと思い、極めて優しく、丁寧に人と接するようになった。

転職した今では、私が人を傷つけている(らしい)。

最初は何が起きているか分からなかった。だんだんと遠まわしに口が悪いと言われていると気付き始めた。私は混乱した。かつて口の悪い人を反面教師とし、その点には気をつけているつもりだったからだ。あの会社で一番丁寧だった私は、この会社では一番粗暴なのだ。まるで、地獄の最上層から天国の最下層に来てしまったようだ。私は、俺は…子鬼だったらしい。

 

その後は惨憺たるものだった。私の何気ない一言が誰かを傷付け、顰蹙を買い、緩やかに嫌われた。時には直接的に否定されることもあり、その言葉、この現実に傷付いた。どんなに気をつけても、私の無意識下の言葉が誰かに刺さるようだった。そしてそれに対し、ヒソヒソと裏で否定されるものだから、今度はその沈黙が私に刺さった。私達は交わるべきではなかったのかもしれない。

 

そしてふと気付く。前職では口が悪いものの、お互い思っている事を口にできた。現職は言葉こそ丁寧だが、誰も本音を口にしない。これは、異なる価値観に起因しているのだろう。ゲゼルシャフトゲマインシャフトか、ハイコンテクストとローコンテクストか、父性文化と母性文化か、言え文化と察しろ文化か…。名前は分からないが、コミュニティの根本の価値観の相違が私を苦しめていたのだと思う。この中間あたりが私には心地よいのだろう。

しかし両職場も、それぞれの価値観を盲信している。現職でいえば自分たちの、本音こそ言わないが相手を慮って柔らかく伝える方法が正で、その逆は悪と見なしている。私はどちらも正解ではないと思う。全ては相対的な価値観に過ぎない。先進国が後進国を、現代が過去を、人間が獣を断罪できないように、誰もが不可侵的正義を持っていると思う。

 

ただここで問題なのが、価値観の相対性を否定する者の対処法だ。というか今の私の状況なのだが「お前の価値観はおかしい!」と言われてどう反応したらよいかが分からない。あまり言いたくないが知能が高くないためか論理的反論は意味をなしていないし、結局権力差のもと「はい」と言わざるを得ないのだろうか? また転職するのも一手だが、短期間すぎて経歴が汚れそうである。

ああ、なぜ皆、もっと生産的に生きていけないのか。